お相撲〜〜

お相撲がゆれている〜〜
その地位も含めてゆれている。
確かに、この状態で名古屋場所、開催できるの?


『相撲は国技』、本当か否か?
知る限り、特に法律で定めている訳ではないので、解釈は色々あるだろう。
図書館はこの時間には開いていないし、ヒマだから、とりあえずネットで調べてみよう。
1909年、両国に常設相撲場が開設され、『国技館』と命名されたことがその発端?
東京における常設相撲場は、次の様に建て替えられ、現在3代目の様。
1909年:国技館(両国) ・・詳細な場所分からず、現在の両国国技館のある場所??
1954年:蔵前国技館 ・・相撲博物館開館
1985年:両国国技館 ・・同時に相撲博物館が現在の場所に移動

蔵前から両国に代わったが、30年間で建て替えられている。
日本の経済成長におされて、相撲興業に対する接待需要も伸びたのだろう。
そういえば、バブル前から、相撲チケットを入手するためには、相撲茶屋にコネがないと無理だ、と言われていた。
そうそう、最盛期の木場衆(両国・木場の材木問屋)は、有力なスポンサーだったし、その筋からのチケットも入っていた。
今では、チケット販売会社、インターネットでも入手できる時代になった・・・


やはり、詳しくは財団法人日本相撲協会に聞くしかないだろう。
同協会のHPより抜粋してみた。
・・・・・『古事記こじき)』には神様による力競べが記され、『日本書紀(にほんしょき)』には相撲の神様となった野見宿禰(のみのすくね)が當麻蹶速(たいまのけはや)と対戦したお話が登場します。
平安時代には朝廷の行事として「相撲節会(すまいのせちえ)」が行われ、鎌倉時代室町時代には、武士が精神をきたえたり、戦場で役立てるために相撲に励んだといわれています。

ほう、そういうことか。
それなら、相撲節会、ってなんだ?

相撲節会(すまいのせちえ)
天平6年(734)、聖武天皇(しょうむてんのう)が全国から力自慢を集めて相撲を取らせました。
それが、平安時代になると朝廷の重要な儀式の一つとなり、天皇が観戦して盛大に行われました。
まず、左右の近衛府(このえふ 宮廷や京都市中を警備したりする役所)が、それぞれ相撲人(すまいびと 力士のこと)を各地から探して朝廷に召し集めます。
そして、相撲人の稽古(けいこ)をして、取り組みの順番を決めます。
相撲節会」の当日は、関係する貴族や役人、相撲人たちによる行進で始まりました。
最初に子どもの相撲、続いて大人の相撲があわせて20番行われました。
土俵はなく、投げたり、足を掛けたりして相手を倒すと勝ちでした。
勝った方の陣営は、勝ちどきの声をあげ、舞楽を演じました。「相撲節会」は一日だけで終わりではなく、別の日に優れた力士を選んで取り組ませたり、宴会が行われたりしました。
しかし、平安時代末期になって、武士が力を付けて朝廷が衰えると、「相撲節会」が行われないことが多くなりました。
承安4年(1174)の「相撲節会」が、約400年続いた朝廷儀式の最後となりました。

著作権、抵触していたら削除します。ご連絡乞う。)



相撲節会」を読んでみると、それらしい感じがする。
現在の相撲興行の原型がなんとなくみえてくる。
明治時代、維新から30数年経過し、政治・経済も安定、国民に与えるエンタメとしてのお相撲、悪くない。
古文書にもいろいろ書かれているし、悪くない。
元来、力自慢という非常に単純かつ勝敗がはっきりする、さらに道具が不要、というスポーツは、仕込ネタとして面白ろそう。(これは昨日ブログのイワシ缶詰と一緒)
国体としての求心力を高めるためにも、歴史を語れる、分かり易いスポーツが必要。
ただし、柔道や剣道ではストイック過ぎて、興業形式には馴染まない。
弁当食べ、酒を飲みながら、柔道、剣道、観戦するわけにはいかないものね・・・
当時の知恵者が相撲興行の原型を作り、それに関係者がのったに違いない!
文科省→財団法人日本相撲協会国技館サービス株式会社を初めとした各種子((?)会社
どの段階まで国会予算承認? 会計検査院の守備範囲??
チケット代行および各種手配業の『相撲茶屋』(相撲案内所)を含めた各種の周辺業
相撲茶屋を相撲案内所と改称したことが、妙におかしい。
ほのぼのとした日本的な美しい世界(?)が広がっている・・・


国技館入り口で、相撲茶屋関連のチケットを出すと、相撲茶屋が20軒程度建ち並ぶコーナーへ、と告げられる。

その後、『出方さん』と呼ばれる袴姿の案内人に枡席まで案内されると、それはそれで絵になるし、初めての人を連れて行くととても喜ばれる。
出方さんに心付けを渡すタイミング・仕方も大事で、その後の対応が変わるのも、古き良き時代の日本文化・・・・
時々お世話になっている相撲茶屋の女将さん、別嬪です!


現在の国技館、観客に弁当類を出すため、地下に巨大厨房、相撲名物となっている焼き鳥厨房は特にすごい(らしい)。
東京での大相撲興業は、1月、5月、9月の年3回
民間だったら、とっくに立ちゆかなくなっている。
大阪、名古屋、福岡は、それぞれ体育館を使用しての興業


割り切ると、その解決策も見えてくる。
外国人にも人気のあるお相撲、東京の都市型観光資源としても評価されている。
ぜひ、立ち直って、楽しくかつ歴史あるエンタメとして再生して欲しい。


お相撲のコンサル、こないかなぁ・・・・



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