人の意思決定は不合理?

昨夜はクリスマスイブ、特段の予定のない、寂しいおじさんが集合、呑んだ。
女性のいる店で慰めてもらうメンバーではなかったため、和食の店へ。
昨夜の銀座、どういう訳か、人の出が少なかった。
おじさんだけでなく、若者も少なかったが、どうしていたのだろうか?
若者はディズニーランドへ行っていたのだろうか??
いや、ディズニーは今日か??
酔った勢いで、クリスマスイブの定番だった金色の三角帽を頭に、肩を組み、ワイワイ言いながら歩いた、あの頃を懐かしむ人、自分だけか・・・・


ところで、、、、
学生時代に習った経済理論、市場は完全競争・合理的な判断、を前提としていたが、ビジネスの世界、個人生活での意思決定は異なると考える。
また、ものの見方、人によって異なる。
それがあるから、株式売買も成立するのだろう。


ある本で、「誰からも好かれる、ということは、誰からも好かれない、と同義。」と言っていたが、真理だと思う。
捨てるマーケットが無ければ、コアとなるマーケットを獲得することができない
様々なマーケティング理論、ほとんど全ての理論が、ある前提をおいている。
その前提の大方、「合理的な顧客・市場判断」と感じている。
そうしないと、理論が成立しないのだろう。


都市型総合ホテルの企画、全方位外交、最大公約数での企画が前提だった時代が続いていた。
一定の施設品質と運営品質があれば、それなりのビジネスになった。
そのなかにあって、マーケットを絞ったホテル企画、「趣味性の高いホテル」として、一般的な感覚では否定されていた
Wホテル、流行のブティックホテル、が、その例となろう。
どこまで尖るか、事業性を確保するためには、ブランド力との整合性が必要。


で、顧客、ホテルを選択する時、どの様に考えて選択しているのだろうか
これも、人によって評価ポイントは異なる。
ブランド、話題性、施設品質、インテリアデザイン、付帯施設、他人の評価・口コミ、価格、、、、
(価格を最後にもってきたのは、これだけでは寂しいから・・・)
加えて、立地があるが、これは更に、、格、分かり易さ、利便性、等に細分できる。
こういった項目を総合的に判断することとなろう。


ある時期、マーケティング理論のことを一生懸命学んだ。
ホテル企画には、販売が必須、どこへ向かっていくのか、芯がなければ、総花的、先行事例のコピーになってしまう
そういった思いで勉強した。
が、その限界も併せて感じていた。
ホテルは、1日使いの気ままな商品であり、移ろいやすい
隣に新しいホテルができれば、気になってしまう・・・・
合理的にかつ論理的に整理すれば、形はできるが、それって真実?


合理的に判断しているつもりでも、最後に背中を押すもの、これはなに?
多分に、生活感・過去の使用経験・好悪感、といった、言葉で表現し辛い内容ではないか、と思っている。
これが「見える化」できればホテル企画は楽だが、そういったものでもないのだろう。


昨日、Good News が飛び込んできた!
なにはともあれ、良かった。
苦労・工夫は、その対象があって初めて成立する。
来年は楽しい年になりそう・・・・


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